こんにちは。Nagiです。
なぜ台湾が親日?韓国が反日になりがちなのか?
本質の答えは「経済(豊かさ)」です。
1930年代台湾の消費力は韓国の1.5倍で豊かでいい時代だったから親日となりました。
台湾では砂糖と米を両方生産できたからこそ、一般人が豊かになりました。
今までよく見る理由、例えば:
「韓国の反日教育のせい」
「韓国人のプライドが高いから」
「共産党に負けた国民党のレベルが低かったから」
「植民時代の組織体制が違うから」
いずれも本質的ではなく、心に響かないと筆者は感じています。(本文内理由)

日本統治時代の1920~30年代の台湾、国民の生活が飛躍的に豊かになりました。
「いい時代だったな~」と人々が思い、その思いが子孫に影響し、現在の多くの台湾人が親日となりました。
という論点の方がしっかり来ます。
ただし、
それは「日本人が台湾人に特別に優しくて豊かにさせて、韓国人に優しくなかった」というわけではありません。
親日反日のよく言われる理由を振り返り、一緒に本質を突き止めましょう。
なぜ台湾親日、韓国反日?今までの論点を見ましょう
「韓国の反日教育のせい」
なぜ韓国には反日教育があり、台湾にはなかったでしょう?
反日教育を作った人々の原動力・もっと本質的な原因があるでしょう。
「韓国人のプライドが高いから」
台湾人のプライドも高いですよ。
私が台北に住んでたところの隣のおじさんが特にそうでした。
間違っても全然謝らない人でした。

「共産党に負けた国民党のレベルが低かったから 」
これは国民党が嫌いな理由になりますが、日本が好きになる理由とはなりません。
「植民時代の組織体制が違うから(朝鮮半島は天皇直属;台湾は内閣直属)」
組織体制の違いで、人々の感情にどうやって影響したのか説明できていません。
いずれも本質的な理由と感じられません。
台湾は韓国より1.5倍豊かだった
1930年代における日本・朝鮮・台湾間の購買力平価という論文の表を見ましょう。
台湾と朝鮮(韓国)の物価がほとんど同じですが、1930年台湾の消費力は韓国の1.5倍でした。
(韓国の購買力は台湾の3分の2しかありません)
また、台湾の購買力は日本とほぼ同じでした。


「生活が豊かであれば、だれが首相をやっても私に関係ない」
という現代人の本音と同じく、当時の台湾人もそう思っていたでしょう。
逆に生活が苦しかったら、同じ民族の統治者でも反抗するに違いません。
ハイパーインフレで大規模なデモがあったジンバブエが一例です。

日本が台湾に特別に優しかった?
「当時の日本が台湾に特別に優しかった、韓国に優しくなかったからだ」という考え方もあるでしょう。
残念ですが、違うと断言します。
同じ植民地ですから、一方に特に優しくして、1.5倍に豊かにさせる理由がないです。
そもそも1897年に日本では1億円で台湾を売却するという議論もありました。
武力反抗や悪い衛生環境で日本人の死傷が多かったからです。

たとえ当時の日本において、個人が台湾に優しい気持ちを持っていたとしても、社会はそう動いてくれません。
個人の気持ちは日常生活的に影響が大きいですが、社会という巨大マシンには、影響力がほぼゼロです。
昔も今も、社会は経済(お金)で回っています。
気持ちではありません。

例を挙げましょう。
1897年、台湾総督府が台湾で4台の蒸気発電機(計79.5kW)を設立しました。
台湾初めての蒸気発電機でした。
それは優しい気持ちで、人々に照明を提供するためではなく、
台湾総督府のアヘン工場の夜間照明のため注でした。
注:台湾電力会社月刊より
また、日本は数十年をかけて、台湾で綿密な鉄道を敷設しました。
それも優しい気持ちで、人々が便利に行き来できるように、ではなく、
砂糖・米・木材・樟脳等資源を輸送するためでした。

当時の日本では、台湾に優しくしてあげたいという気持ちを抱いている日本人も一定数いたでしょう。
しかし、それは台湾が豊かになった理由ではありません。
日本が台湾に特に優しく接したわけではありません。
他の経済的な理由で、台湾が韓国より1.5倍豊かになったのです。
経済的な理由で、台湾が韓国より1.5倍豊かだった
数百数千万人を豊かにさせた原因は、一つだけではないです。
世の中はそう単純ではありません。
ただし、「これがおもな原因でしょう!」と言えるのは、
台湾では「砂糖」と「米」を同時に生産できますが、
韓国では米しか生産できなかったから、1930年代の豊かさが1.5倍も違いました。

記事が長くなったので、砂糖・米の生産の詳細は次の記事にさせてください。(´ε`;)
(砂糖、米を大量に売ったから豊になったという単純な理由ではありません)

それでは、ザイジェン!
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