台湾が親日、韓国が反日の理由?経済が主因!砂糖と米がカギ!(下)

台湾

こんにちは。Nagiです。

「台湾で砂糖を同時に生産できて豊かだったから親日となった」というのは上編の結論でした。

なぜ?は本編で解説します。

日本が台湾を取得したとき、日本は砂糖の輸入大国でした。

貿易赤字を何とかしたいという思いで、台湾の砂糖産業に力を入れました。

(砂糖の原料のサトウキビを栽培するために、高温の環境が必要で、韓国では作れません)

甘蔗(カンショウ)= サトウキビ

資本家はできるだけ利益を得るために、サトウキビの買収価格を低く抑えました。

しかし、台湾の農民は「サトウキビ」と「」の栽培をうまく調整したことで、利益を奪い返しました。

結果的に、一般人の農民が豊かになって、いい時代となりました。

資本社会では、あらゆる社会現象は経済と深く関係すると筆者は信じています。

台湾の親日・韓国の反日は経済が理由?サトウキビと米?」と思っているあなた、
一緒に詳細を確認しましょう。

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日本が台湾の砂糖に力を入れた

1895年に、日本が台湾を統治し始めました。

神戸税関の資料を見ると、1896年~1901年の間に、砂糖・精糖の輸入額は常に上位3位にランクインしました。

台湾を統治する初期に大金を使った日本政府が、利益を生むために、台湾の砂糖産業に目をつけました。

注:衛生ではない環境で反抗ばっかりの騒動な初期


1902年に、政府主導で、台湾初の近代化の砂糖工場が開業しました(三井財閥系)。

1905年に、「製糖場取締規則」が実施されました。

今までサトウキビを自由に売買できましたが、政府が指定した「一定範囲内」の製糖場にしか販売できないようになりました。

1912年臺灣製糖場原料採取區域圖 出典:wikipedia


政府や資本家に有利なルールでした。

当時台湾で流行ったことわざとして:

「第一憨,種甘蔗互會社磅」

サトウキビを植えて砂糖会社に売るのは一番のオオバカがやること」という意味です。

砂糖と米・2枚のカード

「サトウキビの買収価格が低かったら、米を植えればいい」と当時の農民が考えました。

米を植える人が多ければ多いほど、サトウキビの供給量がすくなくなって、
いわゆる「米糖相克(べいとうそうこく)」という現象が起きました。

著書「米糖相剋」表紙
作者:柯志明

この現象は以下の二つの理由で、1930年代にピークになりました:

① 1920年代、日本国内人口が大幅に増加し、米、砂糖両方の需要が大きく増えた。

出典:Huntley Film Archives

② 1922年に、台湾蓬莱米の栽培が成功して、日本への良質な米を輸出することができるようになった。

砂糖と米という2枚のカードを交互に使うことで、一般人にも利益が残るようになりました。

米の価格は抑えられなかった?

「米も砂糖も買収価格を抑えたら終わりじゃないのか?」

と現代人のわれわれが考えますが、カンタンではありませんでした。

なぜなら、経済的な手段で寡占(かせん)・独占体制を作るのが時間がかかるからです。

砂糖業の寡占(かせん)・独占体制をしあげる為に、1900年から、日本政府が以下のステップを踏みました。

砂糖業・独占・ステップ
  1. 日本国内の資本家と交渉
  2. 競争力のある新しい製糖工場を建設する
  3. 製糖工場の安定な操業を確立する
  4. 独占的な法令を作り、実施する
  5. 反抗する者に対応する(数回)
  6. 独占的な体制を確立する

カンタンではありません。

一方、日本は最初に台湾の米(在来米)に興味がなかったです。


なぜなら、日本人にとってまずかったからです。

台湾人の自給自足にはいいですが、輸出ができなくて、経済的な価値が低いです。



しかし、1922年に蓬莱米の栽培が成功しました。

>>大規模栽培

>>日本に輸出

>>米もサトウキビも買収価格が上昇

>>米の価格を抑えなきゃ!

と気づいたときに、もう遅かったです。

米が自由に流通できる販売網がすでに出来上がったのです。

この販売網で儲けたのは台湾の農民だけではなくて、日本人もいたでしょう。

いきなりかせん・独占の体制を作るのが難しかったです。


やがて政府が強硬な手段を取り、1939年に「米専売」の制度を実施しましたが、

1920, 1930年代の豊かな時代はすでに人々の記憶に残りました

注:1939年はすでに戦時中、「豊かな時代と違う特殊な時期」ととらえた台湾人も多かったでしょう。

日本統治時代の韓国

台湾人が豊かになった理由がわかりましたが、韓国は?

日本が韓国を統治し始めたのは1910年です。

サトウキビが植えられないから、米を大量に生産する「産米増殖計画」が実行されました。

注:サトウキビは高温な環境が必要で、10℃台で成長しない植物です。

韓国の農民は台湾の農民と違い、米以外の選択肢がないので、資本家にやられ放題でした。

たとえ米の品種が改良されても、大量生産ができたとしても、利益は資本家(日本の財閥や韓国の地主)に吸い上げられました。

一般人は差別を受けながら貧しい生活を過ごしていたため、「日本統治時代最悪」という記憶が残ったでしょう。

この記憶を持つ人々が彼らの子孫に伝えて、反日教育を仕上げたでしょう。

出典:REUTERS / Kim Hong-Ji

まとめ:豊かさが親日(台湾)と反日(韓国)のカギ

数百数千万人が同じ傾向を持つ現象を説明するのがカンタンではありません。

理由は絶対に一つだけではありません

ただし、日本統治時代の豊かさをみれば、台湾が韓国の1.5倍でした。

豊かさの決定的な違いで、当時の台湾人と韓国人にとって「日本に対する思い」が全然違いました。

そして、この思いが現代の親日・反日の現象につながりました。

時を戻すことができませんが、
もし日本統治時代に、韓国でもサトウキビなどを植えることができれば、状況が全然違ったかもしれません。

今の韓国が親日となっているかもしれません。

Nagi
Nagi

同意でも反対でもコメントいただければ嬉しいです!
それでは、ザイジェン!

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